卒業論文題目

2023年度

コンパニオンアニマルと人間の関係性
お笑いのネタにおける差別的発言は、いかなる条件を満たすとき悪質といえるか
メアリーは白黒の部屋で「どのようなことかの知」を得ることは可能か
物語の媒介による自己同一性の発展
剥奪説と死を悪く感じることについて
「作品に罪はない」は真実か―道徳主義の批判的検討―
エロース(恋、憧れ)に関する哲学的分析:プラトン『饗宴』、『ギリシア詞華集』、『万葉集』を手掛かりに
生と死を見つめる ~自由な存在であるために~
文学作品における意図と解釈について —仮想的意図主義の再構成を目指して—
行為の因果説における行為の自律性
ウィトゲンシュタインにみる身体説の再検討と感情における言語の重要性
私たちはどのように他者の心を理解するのか
我々は後悔にどう向き合うべきか

2022年度

目的論的平等主義は擁護可能か
フィクションによる恐怖はなぜ生じるか
不幸が見込まれる子供を産むことは許容されうるか
音楽聴取における美的判断の不一致について
心理的利己主義は間違っているのか
道徳的自然主義者は規範性からの反論にうまく応答できているのか
『論語』における「学」の位置づけ ―『論語義疏』の解釈を通して―
非戦争当事者世代の政治的責任について ―ヤングによるアレント「政治的責任」批判を通じた戦後責任論の再考―
道徳的相対主義の擁護
競技スポーツにおける「勝利」の価値の位置づけ
シャロンストリートの進化論的曝露論証に関する議論の検討を通した道徳的実在論と進化論の両立可能性の探求
言語使用の規範性は規則によって説明されるべきか:スタンリー・ガヴェルの哲学に基づいた検討
愛されることの考察
善を巡る考察 ~古代ギリシア哲学を手掛かりに~

2021年度

「正当化を自覚していることは知識の価値にとって必要なものなのか」
「「人生の意味」を求める人間に対して与えられる解答— 不条理論考を通して提起する「感受主義」 —」
「意味の必要条件についての考察」
「フィクションの恐怖は媒体毎にどのように異なるのか」
「日本は今後、動物食(肉食)とどのように向き合っていくべきか」
「「自分探し」とはどのような活動か」
「「私」は機械の中で生き続けられるのか」
「経験と作品の両面から見た音楽概念についての考察」
「「アキレスと亀」の修正と世界モデルごとの考察及び運動の可能性への検討」
「知的好奇心に基づく学びという行為は、どの程度の価値を持つか」
「プラトン『国家(対話篇)』における理想国家を現代社会において実現する方法」
「笑いを許容するためには何が必要か」
「自然主義的誤謬の批判的検討」
「『淮南子』俶真訓における死生観の考察」
「ラッセルの『幸福論』は現代において実践的なのか」

2020年度
「努力による成功と偶然による成功はどちらがより価値が高いのか」
「反出生主義への批判的検討」
「なぜ信念が間違っているかもしれないとしても(場合によっては)その信念に基づいて行為していいのか」
「人はなぜ服を着るのか」
「ある加害行為を制裁とみなし、正当化する基準はどのようなものであるか」
「「善意のディストピア」は存在するのか―SNSにおける知覚の変化を検討する―」
「ユダヤ人定義の援用による自認主義の循環性の克服」
「知識論証は物理主義を反証するのか―新事実主義の擁護―」
「古代ギリシア世界における「舞踊」の位置づけ」

2019年度
「王莽が「簒奪」に成功したのはなぜだったのか:「パフォーマンス」という観点からの分析」
「男性読者による百合作品の楽しみ方の考察」
「なぜ人々はわざわざコンサートへ足を運ぶのか」
「意志の弱さは実践推理モデルで説明できるのか」
「ラッセルの『幸福論』は現代の幸福研究の立場から見ても実践的なのか」
「絶対音感保持者の聴取経験」
「ロボットが道徳的配慮の対象になるためにはどういった要素があればよいか」
「元号の機能とその必要性」
「人生を大きく変える決断に迫られたとき、私たちは真正的で合理的な選択をすることはできるのか」
「写実的でない絵の内容の理解について」
「われわれはツイッター上で目にする情報の真偽をどのように検証できるか」
「武士道と死」

2018年度
「出生診断に基づく中絶診断は倫理的に許されるか」
「郭象の「性分」の思想と荘子の超俗的思想」
「道徳は何故普遍的なものと見なされるのか」
「異なるコミュニティにおける言語の意義と意味」
「ロボットは死にうるのか」
「作為と不作為の間に道徳的違いはあるか」
「道徳的判断とはどのようなものか」
「虚構に向ける感情は現実に向けるものと同じなのか」
「死の害悪に関する剥奪説の検討」
「哲学はなぜ難しいのか」
「『列子』における孔子像」

2017年度
「中国古代における孝の思想について―舜を通してみる孝子の姿―」
「安楽死の法制化の是非について」
「紛争終結時の裁判と当事者間交渉における第三者の機能可能性―公平性に着目して―」
「小説を読むことから見る小説の価値」
「‘芸能人’という存在の意味―テレビ番組における‘芸能人’の存在の特殊性」
「ロールズ正義論と個人の多様性―障害者の問題を中心に―」
「決定論と責任は両立するか」
「ダントーによる芸術作品の本質的定義の妥当性とその可能性」
「欲―荀子の「性悪説」に見る欲望―」
「対面的スポーツにおける勝利至上主義」
「リバタリアンの批判的検討―ケインの議論における“自由な選択”概念についての考察―」
「『存在と時間』における配慮的気遣いの対象について」

2016年度
「束髪の流行と衰微――鹿鳴館時代の欧化と国粋」
「発生現象学において他我がどのように構築されるか」
「博物館とは一体何か、古代ギリシアの諸文献を手がかりに、 その本質を探る」
「スピノザから学ぶ自由論」
「行為論によるロボットへの行為の帰属」

2015年度
「クオリア問題における還元可能性と物的一元論の検討」
「ヴィクトール E.フランクルにおける人生の意味」
「チャーマーズの還元主義批判の現象主義的再構築」
「安楽死は尊厳ある死か」
「基礎づけ主義的観点から見たクワインの批判」
「理想的な家族とは?─男の育児、離婚、同性婚から考える─」
「「私的な言語」の可能性を認める『哲学探究』§§243―272の一解釈─そもそも「私的言語議論」は何を議論しているのか─」
「ディスコード化するテクノロジー─契約、市民、潜在的アクター─」

2014年度
「「騙し」とその魅力」
「ロボットの生命権に関する考察―浦沢直樹の『PLUTO』を手引きにして―」
「当事者研究における「研究」の性質を探る」
「純粋持続と物語の複層性―ベルクソンの存在論―」
「動物の閉じ込めと動物園に関する考察」
「20世紀初頭の中国における科学的史学の形成―顧頡剛を通して」
「夢を見るとはどういうことか」
「過度な延命治療をどう考え、どう対処するのか」
「他人に快を与えることにおける自らの優先性」
「欲求の充足で得られる善と死におけるその剥奪」

2013年度
「プラトンにおける善の概念」
「情念についての哲学的考察―トマス・アクィナスの「質料的準備態勢」の概念をたよりに―」
「科学の実在について」
「『金枝篇』における「共感呪術」をめぐって」
「なぜ人は悪いことができるのか―R.ヘアの普遍的指令主義の観点から―」
「タイムトラベルの実現可能性―マクタガートの時間論を通じて―」
「死に対する考察―『荘子』内篇の観点から―」
「私という感覚は錯覚か―意識と無意識について―」

2012年度
「受け手の実践から考える傾聴の諸相」
「アリストテレス『カテゴリアイ』―解釈と意義」
「行為と感情―プラトン、セネカら古代哲学者の感情論および正義論を通しての古典的文学作品の分析」
「胡適自由主義の帰趨」
「「発話行為」の検討―オースティンの言語行為論を手がかりに」
「移植用臓器のマーケット化に関する考察」
「自分を騙すということ―自己暗示と自己欺瞞」
「「障害者」と「健常者」の関係に関する考察―健常者の側からの差別を読み解く」
「『中庸』における誠についての考察」
「ライプニッツにおける観点の違いと善」
「中庸の分化―中庸概念を支える道徳的基準とは何か」
「善く愛するにはどうすればいいか―トマス・アクィナスの情念と習慣・徳に関する考察」
「『イメージの裏切り』から見える絵画タイトル『無題』の意味」
「蘇軾の書に対する美学」
「心的因果の問題は解消できるか」

2011年度
「高度情報化社会におけるメディア・リテラシー―テレビとインターネットとの相互関係をとおして―」
「エンハンスメントが変える人間観とは―気分のエンハンスメント論を通じて―」
「信念状態の機能的定義不可能性について」
「尊厳死・安楽死問題と、その解決を阻む「本当の問題」―哲学的ジレンマの分析を通じて―」
「魂の存在と行方をたずねて―古代ギリシアを中心に―」
「自己愛について―自分自身との向き合い方を考える―」
「古代ギリシアにおける人間性と教養の関係―プラトン『国家』を中心として―」
「本居宣長における感情にまつわる問題とその解決―「もののあはれ」論における「共感」を中心に―」
「柔弱謙下の新解釈―『老子』「不仁」説の観点から―」
「グライスの会話の理論において曖昧になっている点」

2010年度
「日本人の神観について」
「科学の線引き問題と進化論について」
「カント崇高論における自由な社会的関係のための実践的契機について」
「道徳的相対主義」
「トマス・アクィナス『神学大全』を足がかりとした感情と
のよりよい関わり方の考察」
「トマス・アクィナスの観想論」
「クーンのパラダイム論から考える科学の発展」
「私」に関する新たな解釈の提案―Evansの「ここ」概念を手がかりに―」
「「正義」を巡る考察―プラトンを手掛かりに―」

2009年度
「アメリカ大学の入学審査における人種と積極的差別是正措置を巡る論争―合意点を探して―」
「行為の文脈―「インテンション」読解を通して―」
「美徳の在り方についての考察」
「古代中国における同性愛について」
「動物への配慮―道徳的感情に基づくアプローチの提案―」
「道徳的に善であるとはどのようなことか」
「サールの実践理性の理論における「飛躍」の検討」
「時間論における変化についての言明の考察」
「「尊厳死」にまつわる一考察―ヘルガ・クーゼの論を中心に―」

2008年度
「原因と結果の関係性 ― ミュンヒハウゼンのトリレンマとの関連 ―」
「ホッブズの『リヴァイアサン』における自然状態の人間観について」
「笑いについて とりわけ作り出されるおかしみについて」
「肉体と器官を中心に据えた感性論」
「自己に関する対話」
「哲学と自然科学の関係を巡って ― ウィリアム・ヒューエルとソクラテスを手掛かりに ―」
「レオノーラ・エヴェリーナ・パイパーの交霊会にみる心の性質」
「『論衡』の運命論的世界観における性命論について」
「ヘラクレイトス再考 ― そのロゴス概念を中心に ―」
「ハーバーマスの討議倫理の検討 ― ポスト慣習社会における道徳の探究 ―」
「「色盲のメアリー」、或いは太陽系の友人達と「究極の問題」について」
「M. ハイデガー『存在と時間』」

2007年度
「自己知における不可謬性と自己告知性について」
「メルロ=ポンティ―まなざしの現象学―」
「道徳に関する諸論の概観と『善と悪』(大庭健著)批判」
「技術の発達に相応な倫理の構築―着床前診断の例より―」
「居合道における武士道の必要性」
「私の同一性と記憶の謎」
「古代アテネ民主制研究」
「ある概念相対主義批判」
「言語・イメージ・身体―mediumについての考察―」
「死刑囚における臓器移植について」

2006年度
「タイム・パラドクスに始まる世界像の考察」
「「悪」を主題とする芸術作品のもつ魅力について」
「中絶は権利と呼べるか」
「無根拠な私―G.E.M. アンスコム『インテンション』、”The First Person”を読み解く―」
「相貌論的コミュニケーション」
「21世紀初頭日本におけるナショナリズム分析と教育」
「『喪の作業』―死の共同性と他者性―」
「私は従わなければならない―刑罰・社会・規範性―」
「音楽の本質―魂への作用を中心に―」
「サーヴ・ユアセルフ―ハイデガー『存在と時間』を通して自殺を解体する―」